WEBコラム〈23〉地域日本語教育と多文化社会
地域日本語教育と多文化社会
萬浪 絵理
特定非営利活動法人国際活動市民中心(CINGA) 理事
多文化社会コーディネーター(多文化社会専門職機構認定)
公益財団法人千葉市国際交流協会委嘱 日本語教育コーディネーター
私の地域日本語教育との関わりは、約10年前に文化庁委託の日本語教育事業にコーディネーターとして携わったときから始まった。それまでは、留学生や研修生に50音から初級を教える仕事をしていた。だから、ある地域のボランティア教室で、「ぺらぺらだけど、ひらがなが読めないので日本語教室に来ている」という中東出身のおじさまに出会ったとき、とても衝撃を受けた。耳だけで、「外国語」である日本語をここまで自由に話せるようになるなんて、すごいことではないか。生活者対象の日本語支援とは、なんとも多様で奥が深い!しかし、うっかりこんなことを口にすれば、現場の苦労も知らないで…と、日本語ボランティアの方に叱られたに違いない。
ともあれ、私にとっては、この衝撃が地域日本語教育の魅力となった。それまで自分が研修生や留学生に対して日本語教育機関でやってきた「日本語教育」は、なんと狭かったことか。以来、地域日本語教育の分野で日本語教育コーディネーター、大きくは多文化社会コーディネーターとして複数の事業に関わってきた。具体的には、千葉市や東京都港区で地域日本語教育の体制づくりを進めたり、千葉県や佐賀県内の市で日本語教室立ち上げに助言をしたり、日本語学習支援者研修のカリキュラムを開発して5県市で展開支援をしたり、「生活者」のための日本語学習教材を作って実践研究を行ったり。
この3,4年で、地域日本語教育はダイナミックに動いた。長らく、各地の地域日本語教育コーディネーターの配置や公的な日本語教育の場の設置は「絵に描いた餅」だったが、急に手で触れられるものになった。まだまだ自治体による予算取りは容易ではないものの、「何とかしなければ」「何か始めなければ」と担当者の多くが感じている。その意識は、地域によっては市町村レベルまで広がり始めているようだ。オンライン事業報告会を開くと全国各地の自治体や国際交流協会から参加があり、その担当者が熱く情報収集する姿から、肌で感じることだ。全国で体制づくり事業が始まった頃にコロナ禍で対面の日本語学習機会が奪われたことは地域日本語教育にとって打撃だったが、一方で、研修や報告会のオンライン化が一気に進んだことにより、地域を越えた情報共有は飛躍的に密になった。
さて、このように各地の体制づくりが進む中で、議論が欠かせないのが「日本語教育」の場についての検討であると思う。生活者のために日本語学習の機会提供が必要だから「日本語教室」を作る。日本語教師とともに、「日本語学習支援者」が必要だから育成する。日本語教師や日本語学習支援者のいる日本語教室を増やし、日本語が学べるようにする―それは必要なことだ。しかし、日本語学習の場イコール日本語教室と考えるだけで、この先、順調に行くだろうか。在留外国人の人口から見ても、教育内容から見ても、「日本語学習機会」というものをもっと広く捉えて、既存の場を巻き込んでいくことが必要ではないか。これは、決して、新規の教室設置数や日本語学習支援者研修受講者の定着率において数値目標達成に苦労するからなどという消極的な理由からではなく、多文化社会コーディネーターとしての視点から思うことだ。
冒頭に紹介したおじさまの話に戻る。それはちょうど選挙期間で、外から選挙カーの声が聞こえていた。彼は「日本の若者は、もっと政治に関心を持たなくちゃいかん。このままじゃ、日本はどうなる?」と私に日本語で熱く語ってくれ、そのあと、ひらがなの練習をしていた。こんなおじさまと日本の大学生がディスカッションする機会が作れたらおもしろいのに、と想像した。大学生にも大きな学びがあるだろう。その交流の中で文字も使えば、彼にとっては日本語学習の活動にもなって、文字習得に熱が入ることだろう。
このように、会話は流暢だが日本語の文字がわからない、という在留外国人は相当数いる。彼らを見れば、読み書きを除く言語活動においてB1,B2レベル以上の日本語能力を日本語教育機関以外の学習機会で獲得したことは明らかだ。日本語学習自体を目的としなくても、個々人にとって大切な内容についての情報交換が適度に理解可能な日本語でなされれば、それが日本語習得の機会として機能するということだ。市民参加の地域日本語教室で「対話型」と言われるものは、そういった機能を期待している。それをさらに広げ、「日本語教室」という名前が指す場に、職場やサークル、ボランティア団体も含められるように企画できるのではないか。
「日本語学習者」と「日本語学習支援者」「日本語教師」で構成される「日本語教室」を増やすという発想だけでは、数的な限界もあるし、どうにも日本語教育が多文化共生社会につながっていく気がしない。「地域日本語教育」が注目を浴びているうちに、構想を「実践」で示さなければ、と思う。