多文化社会コーディネーター 認定者からのメッセージ

※肩書は認定当時のものです。

芳賀 洋子(はが ようこ) 2023年度認定

当時、多文化子育ての会では、絵本を真中においてママたちとのおしゃべりを楽しんでいた。日本語で書かれた絵本を見ながら「これ、○○語でなんて言うの?」から始まり、子どものころ歌った母語の歌や手あそび、子どもの頃の話へと広がる。日本の暮らしの中で封印していた母語を使って、みんなに喜んでもらえたことで、その場で、生き生きした本来の顔が顕われる。「母語・母文化を誇りに思うことは自己肯定感と密接に結びついている」と実感する場面であったし、「同じってうれしい!ちがうって楽しい!」という合言葉を生み出した活動でもあった。以来、こうした多言語活動をさいたま市の図書館等で続けている。
これは、日本でなかなか本来の力を発揮する機会が少ない外国出身者にとっては、自己を取り戻す晴れの舞台であり、一方、マジョリティーである日本人にとっては、多文化の人たちの存在と多文化の楽しさを知る場となっている。
今後は、多文化社会コーディネーターの意義をより意識し、図書館・学校、公共の多文化講座などに当事者の生の声、当事者との生の交流を届けていきたい。一緒に何かをすることで、違いに気づき、違いを楽しいと感じ、自分と異なる立場の人の見方ができる人が増えること。それはマジョリティーの意識の変容につながっていくはずである。
「言葉と文化と社会」を切り口に、多文化の仲間と共に、だれもが自分らしく生きていける対等な関係の社会つくりに向けた発信を続けていきたい。

地球っ子クラブ2000、あそび舎てんきりん 代表

山路健造(やまじ けんぞう) 2023年認定

多文化社会領域に足を踏み込んだのは、JICA青年海外協力隊で派遣されたフィリピンから帰国後の2017年。佐賀に住むタイ人との交流で聞かれたのは、「タイ人の友達ができない」という悩み。それは、フィリピンで“外国人”を経験した私の境遇とも共通していました。そこで、タイ人の横のつながりをつくろうと「サワディー佐賀」を設立。タイ語教室やタイ料理教室など文化の発信をしてきました。
転機は、2019年の佐賀豪雨被害。交流のために作ったLINEグループにタイ語に機械翻訳し、災害情報を発信。しかし、翻訳の精度が問題になりました。そこで、サワディー佐賀内に翻訳チームをつくり、ダブルチェックして発信する体制を整えました。少数派の外国人には有用であったことから、ノウハウを横展開し、ミャンマーとスリランカのグループも組織。さらに、広域支援のため「九州外国人支援グループ」の設立も呼びかけました。
ウクライナ侵攻で佐賀へ逃れてきた避難民の支援にも従事。その中の一人を理事に、当事者目線で支援をしようと、2023年10月に一般社団法人多文化人材活躍支援センターを設立しました。今までは目の前の課題解決ばかりに取り組んできました。今回、多文化社会コーディネーター認定をいただいたことをきっかけに、実践研究や省察を進め、自分の活動の「縦軸」を見つけたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

一般社団法人多文化人材活躍支援センター代表理事、サワディー佐賀代表、人とヒトの幸せ開発研究所(個人事業)

中野 玲子(なかの れいこ) 2021年認定

在留外国人数の増加に伴い、多文化社会に関する議論が活発になっています。けれども、私は、「数」の問題で多文化社会を志向するのではなく、「楽しいから」または「well-beingだから」多文化社会を志向したいと思っています。
私の多文化社会への関心は「すみだ日本語教育支援の会」からスタートしました。日本語教育を軸にした関わりを続ける過程で、各個人が多文化を楽しむこと、well-beingに活動することが、自己肯定感や自己効力感に繋がり、楽しいコミュニティ造りに繋がると考えるようになりました。
そして、今は地元東京都江東区で「日本語みらいラボ(深川)」を主宰し、多文化の楽しさを伝え、個人がwell-beingに多文化を楽しむための活動をしています。日本人住民も外国人住民も、一人でも多くの人が多文化に関心を持ち、多文化の良さを味わい、楽しんで関わることで、みんなの力が自然に集まってwell-beingな地域を作るというのが目標です。多文化社会コーディネーターとして何ができるか思考し、様々な分野の人と協働し、地域のみなさんと共に試行錯誤をしながら、成功も失敗も楽しんでいこうと思います。
外国の文化の他にも多様な文化に関わる多文化社会コーディネーターのみなさんとの実践や省察の共有を楽しみ、専門職としての活動の幅が広がることを願っています。

すみだ日本語教育支援の会 理事/ 日本語みらいラボ(深川) 代表

新居 みどり(にい みどり) 2021年認定

多文化社会におけるコーディネーターについて研究し始めたのは2004年からだったと思います。国際交流協会で働く職員の専門性とその形成の方途について、実際のコーディネーターさんたちに色々お話をきいたり、記述されたものを読んだりしながら研究をし論文にまとめました。
私は研究のプロセスを経て、国際交流協会のコーディネーターになるという夢を持ちましたが、2000年代、国際交流協会の組織継続さえもとても難しい時代でもあり、結局それは叶うことはありませんでした。縁がつながり、いまNPO法人のコーディネーターとしてはたらいています。多文化共生社会の実現を目指す市民活動・ネットワーク組織において、コーディネーターを仕事にできる喜びを感じながら、多くの同僚コーディネーターたちと一緒に活動してます。この認定を受けることは、私自身のためでもありますが、同時に未来のコーディネーターのために、多様な認定者がいた方がよいと思ったからです。仕事にするのはまだまだ厳しい領域であると思いますが、しかし、いま社会に求められている専門職でもあると思います。この領域で一緒にはたらく仲間が増えていくことを願っています。

NPO法人国際活動市民中心(CINGA)コーディネーター

長尾 晴香(ながお はるか) 2019年認定

私は2010年に「Vivaおかざき!!」を日本人と日系アルゼンチン人の3人で立ち上げ、愛知県岡崎市を中心に草の根で活動を行ってきました。外国人向けに防災・教育のセミナーや日本語教室、日本人住民と外国人住民をつなぐ人材育成事業などを行う中で、コーディネーターとしての視点を持つ重要性を感じるようになりました。次々に見えてくる課題を前に、自分たちは何をすべきなのか悩む中、多文化社会コーディネーター協働研修に参加をして、自分が今まで見えていなかった多くの視点に気づくことができました。
研修でテーマにした外国人労働者の就労・キャリア支援の分野で事業を展開するため、2018年に「株式会社link design lab」を設立し、地域と就労の両面から多文化社会の実現に向けて活動を続けています。自分ができることは限られていますが、「コーディネーター」という視点を持つことで、地域やリソースをとらえ直し、どんな動きができるのかを考える大きな助けになっています。
地域の多文化共生の実現のため、多文化社会コーディネーターの重要性が認知され、全国各地で活躍するコーディネーターが増えていくことを願っています。

Vivaおかざき!!・代表/株式会社link design lab・代表取締役

萬浪 絵理(まんなみ えり) 2019年認定

私は国際交流協会の地域日本語教育コーディネーターとして、日本語教室や支援者研修の企画、日本語教育体制整備に携わっています。試行錯誤の6年前、多文化社会コーディネーターの実践研究論文から多くの視点と気づきを得るとともに、実践発信の意義を知りました。認定は発信の励みになると思います。
「日本語教育の推進に関する法律」によれば、推進の目的の一つは「多様な文化を尊重した活力ある共生社会の実現」です。日本語教育を「外国人に日本語を教えること」と狭く捉えると、多文化共生社会の実現促進と相容れないようにも見えてしまいます。地域日本語教育はすべての市民とともに創っていくもの。「日本語教育」の意味をずらし、多様な人々の参画を促すために、地域日本語教育コーディネーターには「多文化社会コーディネーター」の資質・能力が強く求められる、と経験から感じています。 
コーディネーターの醍醐味は、新しいことを構想し、目に見える形にしていくことでしょうか。多様な価値観に寄り添いながら、軸はぶれずに。これが難しい!信念や思いが単なる「ひとりよがり」になっていないか。社会や他者だけでなく、自身を俯瞰する能力も問われています。

千葉市国際交流協会委嘱日本語教育コーディネーター

菊池 哲佳(きくち あきよし) 2017年認定

私が認定試験にチャレンジしたのは、国際交流協会の職員には多文化社会コーディネーターの役割が求められると考えたからです。私は2000年に仙台国際交流協会に入職して以来、外国人相談事業や防災事業を担当し、やがてそれらを「業務」としては何とかこなせるようになったものの、業務をこなすだけではなく、これから国際交流協会の職員としてどのような役割を果たしていくべきかを考えるようになりました。同時に、自分の仕事の質に自信が持てず、悶々とする時期がありました。そのようなときに、「多文化社会コーディネーター」の専門職像と出会い、国際交流協会職員はまさにこれだ!と思いました。その後、多文化社会コーディネーターについての講座や研究会に参加する中で、全国各地の実践者と出会い、彼らの姿に励まされもしましたし、また自らの専門性を高める方法として「省察」の必要性を実感しました。 私は地域の「多文化共生」を推進していくためには、全国各地で多文化社会コーディネーターの役割を果たす人びとの存在が欠かせないと思います。全国各地で「同志」が生まれ、活躍することを認定者のひとりとして願っています。

仙台多文化共生センター センター長(公益財団法人 仙台観光国際協会)、一般社団法人 多文化社会専門職機構 事務局長、認定NPO法人 日本ボランティアコーディネーター協会理事、慶應義塾大学SFC研究所 上席研究所員

北村 祐人(きたむら ゆうと) 2017年認定

認定試験を志したころ、私は愛知県豊田市が名古屋大学と共働で運営する「とよた日本語学習支援システム」のシステム・コーディネーターをしていました。そこでは、市内の各地で企業内日本語教室を運営したり、公営住宅の集会所で住民のための日本語教室を運営したりと、豊田市における日本語学習の機会を整えるための仕事をしていました。長年、「コーディネーター」という名前で仕事をしていましたが、当初はコーディネーターが具体的にどのような仕事をするのか、役割を果たすのか明確に分かっていませんでした。 そんな私が多文化社会コーディネーターを志したのは、コーディネーターとしての力量を向上させたかったからです。そのうち、多文化社会コーディネーターとして働く仲間たちと議論していると、コーディネーターがどのような役割を果たし、地域でどのように機能していくのかが分かってくるようになりました。また、認定試験受験をきっかけに、「なぜ自分がコーディネーターとして働くのか」「自身のコーディネーターとしての力は何か」を自分自身に問い、自分のコーディネーターとして能力について深く考えるようになりました。それからは、どのように関係者と対話をし、日本語教室での活動を設計していくか、日本語教室を運営することで我々が社会にどのようなインパクトを与えられるのか、狭義の「教室」にとらわれず、事業としてどのように教室を見つめられるか考えることができたように思います。現在はコーディネーター職を退いていますが、そこで得た視点は重要なものだったと感じています。

元とよた日本語学習支援システム システム・コーディネーター

髙栁 香代(たかやなぎ かよ) 2017年認定

私は長年外国人が点在する地域での草の根での活動を続けてきました。日々目の前の課題を解決することに追われ、対処療法的な解決が続くことに不安と限界を感じていた時に「多文化社会コーディネーター」の実践研究を知りました。私にとって認定までの道のりは決して平坦なものではありませんでしたが、多文化社会に向き合う覚悟を自覚させてくれた貴重な機会でした。
認定後は多文化社会専門職機構を通して知り合った多文化社会の問題解決に取り組む各地の実践者や研究者とつながることで、地方都市で孤独感を感じることなく実践に取り組めています。そして、多文化社会コーディネーターとしての学びも継続できています。私の実践はとても小さなものですが内実のある実践になるよう努力を重ねていきたいと思っています。
今日、地域の多文化化は地方都市の小さな集落でも急速に進んでいます。誰も置き去りにされることなく、誰もが力を発揮することのできる多文化社会を実現するために欠かすことのできない「コーディネーション」は今後も必要とされるでしょう。それを担う専門職である認定多文化社会コーディネーターが各地で増えてほしいと願っています。

多文化designコンパス代表

松尾 慎(まつお しん) 2017年認定

専門は、日本語教育、多元文化教育です。ブラジル、インドネシア、台湾で日本語教育に携わり、2009年より東京女子大学に勤務しています。日本語教員の養成の他に学生と地元(西荻)を結ぶ活動を教育委員会や地域の方々と連携して行っています。また、2014年、難民当事者とともに難民の日本語教室・活動(Villa Education Center)を立ち上げ、毎週日曜日、大学院生や修了生、学部生とともに活動を継続しています。先日、430回を数えました。この活動ではすべての参加者が学び合える活動をデザインしています。2020年にこの活動を正式に任意団体として立ち上げました。様々な活動に関わっていますが、こうした活動をデザインし、実施していくためには、コーディネーター的な視点や力量が必要になると考えます。また、多文化社会コーディネーターとしての学びを深める過程で、日本語教育の世界にいただけでは出会えない多くの仲間と知り合うことができました。日本語教育の世界でもコーディネーターの果たす役割が注目されています。新たなコーディネーター仲間に出会いたいと思います。皆さんを歓迎いたします。是非、実践とその省察を共有し合いましょう。

東京女子大学教授、Villa Education Center代表理事

松岡 真理恵(まつおか まりえ) 2017年認定

現職の前に、(財)豊田市国際交流協会で働いていた時期もあり、ずっと国際交流協会という特殊な業界に身をおいています。こんなに小さな世界にだけいていいのだろうかと思った時もありましたが、常に現場で生身の人間とふれあいながら次々と立ちはだかる課題に向き合ううちに、現代社会の最前線にいるのかもと思うようになり、むしろ、この道を究めようと、多文化社会コーディネーター研究に関わるようになりました。
多文化社会コーディネーターの専門性を可視化して社会にその必要性を示していく使命感を感じながら、現在も日々現場であがいています。多文化社会コーディネーターの輪が広がるよう、活動を続けていきたいと考えています。

公益財団法人浜松国際交流協会 事務局次長、多文化社会コーディネーター