WEBコラム〈12〉多文化共生って、なんなの?

多文化共生って、なんなの?

大久保 和夫

一般社団法人 多文化社会専門職機構 理事/ 特定非営利活動法人 国際活動市民中心(CINGA)副代表

「驚くかも知れないので、あらかじめ話しておくが、これから行く私の友人の奥さんは、英語はしゃべれないんだよ」。半世紀以上前、日米の為替レートが1ドル360円の固定相場だった時代に北米大陸を一人で放浪した折り、日本であらかじめ紹介されていた米国カリフォルニア州フレズノ市に住む独り暮らしの70歳代の白人男性の家でお世話になっていた時のことだった。「友人の家に行くが一緒に来るか」と誘われて、この男性が運転する自家用車で出発した。フリーウェーを時速100㌔くらいで2時間近くかかって着いた緑の少ない、西部劇にでも出てくるような荒涼とした一帯にその友人家族が住んでいた。

イタリアからの移民で、男性とは軍隊で一緒になり、その後も付き合っていたのだが、イタリア生まれの夫人は、米国人として40年以上米国で暮らしているものの、全く英語は話せず、イタリア語でにこやかに話しかけてくる。何を話しているか分からず、キョトンとしていると夫が英語で通訳してくれた。イタリアの家庭料理をごちそうになりながら、話しを聞いていたが、英語とイタリア語が飛び交う会話の半分以上は理解できなかった。それでもアットホームな雰囲気で日本からの見知らぬ若者を親切に迎え入れてくれた。40年も暮らしていてもその国の言葉を話さない人がいて、それでもその国で生活ができていることに驚くとともに、まさに移民国家・米国の「モザイク」ぶりの一端に触れた思いだった。

その後もカナダ・メキシコも含めて半年余り旅を続けたが、それぞれの国、行った地域に言葉があり、文化があり人々が生活していた。表現としてはあったかもしれないが、その頃は、私自身「多文化共生」という言葉もその概念も知らなかったし、使ってもいなかった。ただ、今にして思うと、その時の旅行体験が、「多文化共生」を体感した初めての実践活動そのものだったのかも知れない。まさに多文化・多言語、多人種・多民族の環境で多くの人と分け隔て無く付き合ったし、その時の体験がその後に日本でも英国人、ネパール人、アフガニスタンなどの外国籍の人とも外国人として意識しないで付き合う土台になっていたようと思う。外国人とか日本人とか、その人の外形的な属性でその人を理解するのではなく、その人の置かれた環境や背景を含めてトータルにその人を知り、理解することが社会で暮らす上で普通だと思うようになってきた。旅をしながらの日常で「多文化共生」社会の身の処し方を身につけていったのだと、いまは思っている。

昨年放映されたNHKの朝の連続ドラマ『エール』で、ドラマのモデルになった作曲家・古関祐而夫妻が、新婚当初、納豆と八丁味噌を巡り、夫婦仲がやや険悪になった場面が出てきた。古関氏が福島市出身で、納豆を日常的に食していたが、愛知県豊橋市出身の夫人は、納豆をほとんど食べてこなかった。そのため納豆特有の臭いがたまらず、一切食事の時に出すことはなかった。一方、味噌汁は、夫人は長年親しんでいた八丁味噌を使った味で、古関氏が福島の地元の白味噌がいいと主張し、時には、わざと妻の前で納豆を楽しそうにとくなど、お互いに幼少から慣れ親しんだ味に拘っていた。

かつては納豆を食するのは、もっぱら東日本で、西日本には納豆そのものがなかったと聞いていた。実際、学生時代に関西出身の人が納豆を知らなかったことにびっくりした覚えがある。しかし、最近は沖縄のホテルでも納豆が出されるようになっており、明確な食文化の色分けが次第に曖昧になりつつあるのかとも思う。『エール』は当然、ドラマなのでフィクションが含まれているが、そうした背景があるので納豆と八丁味噌が、食文化の違いを象徴するシーンとして取り上げられたのだろう。その後のお二人の生活で、納豆と八丁味噌が古関家でどのような位置づけになったのかは分からなかったが、夫婦仲が非常によかったので、二人の間で何らかの折り合いがついたのだろうと想像した。

ドラマの話しが長くなってしまったが、これって、「多文化共生」の実践活動そのものではないかと思った。異なった文化・風土・歴史をもった人たちが一緒に生活したときに、どのようにお互いを理解し、わかり合えるか。これを国際的に広げれば、「国際理解は違いを知ること」であり、「国際協力は違いを埋めること」という外国とのお付き合いの極意のようなものに近づけるのではないだろうか、と考えた。

結婚するときに、相手のすべてを知ってから一緒になるには、時間がかかりすぎる。多くは知らないことの方が多いが、結婚生活とは長い時間をかけてお互いを知り、また、新たな発見をすることでもある。そのことの積み重ねこそがドラマであり、生きると言うことなんでしょうね、多分。そのベースになっているのは、お互いを信頼し合える人間として相手の立場を尊重し合うと言うことでしょう。結婚って「多文化共生」を日々実践して共通する土台作りをしていく「家庭の過程」と見なすことができる、その最たる例ではないか。

「使ってる言語同じで通じない」
新聞に載っていた川柳だが、言語は通じ合った方がいいし、様々なことを共有できるツールとしては重要だが、それ以前に大切なものがあるのだと思う。

「多文化共生とは、なんなのか?」。その定義を調べ、研究するアカデミックな学びは当然あってもいいし、必要だが、多文化共生の実践活動って、そんなに堅苦しく考えることではないのではないか。日々の暮らしの中で、日本人だろうと外国人だろうが、相手の立場を尊重し、理解し合うというこれまで生きてきたことの延長線上で自然に行えばいいことなのね、多分。

「てきといーじー」。
冒頭の貧乏旅行で印象に残った言葉がある。米国ボストン市で世話になった家の主人の口癖。「Take it easy」。私には「適当に、気楽に」と聞こえていた。この言葉を思い出すと、ほんわかした気持ちになったものだ。「多文化共生」社会を目指して様々な活動を一生懸命実践しようとしている方々、「てきといーじー!!」で活動してみてはどうでしょう。

2021年04月01日 | Posted in TaSSK/WEBコラム, お知らせ | | Comments Closed 

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