WEBコラム〈24〉あのときの私がいたから、今の私がある
有田 玲子
東京にほんごネット 代表
子供たちが幼稚園生のころ、今から25年くらい前のこと。ちょうどそのころクラスに外国につながりのある子供が増え始めた。そんな幼稚園の園庭でのある日のことを思い起こしながら、これからを考えてみたい。
突然クラスに新しいお友達を迎えることになっても、子供同士は、あっという間に仲良くなる。日本語が分からない日本に来たばかりの子でも、数か月もすると当たり前のように「キャッキャ」言いながら遊び始める。
その親御さんは、外国人。毎日、送り迎えで同じ時間、同じ場にいる。心の中では、「きっと、困りごとがあるはず。何かしなきゃ…」「もしかしたら、心細いかも」と呪文のように繰り返していた。でも、結局何ひとつできずに卒園を迎えた。集合写真には一緒にいるのに、交わることはなかった。
それから10年近く経って、子供たちが次第に手を離れ自分の時間が持てるようになったころ、ふと、あのときの情景と何ともいえない感情が湧き上がってきた。なんで何もできなかったのか。どうして挨拶の1つもできなかったのか。思い起こすたびに、恥ずかしさと悔しさで心の中がいっぱいになる。
「今できることをしよう」と心に決めて、まず、役所に聞いてみた。外国人の人の役に立ちたいと伝えると、地域の日本語教室を紹介された。そこから、私の日本語教育との関わりがスタートした。これまでの私のキャリアは浅い。でも、いろいろな人とのつながりや実践を通して得てきたものから、それは些細なことだとわかる。「今できること」を丁寧に積み重ねていくしか未来にはつながらないのだから。そして、あのとき声をかける勇気がなかった私の存在が、どんなときも前向きに考える今の私を支えている。
コロナが流行り始めたころ、東京にほんごネット(任意団体)を立ち上げた。日本で暮らす外国人や、外国につながりのある人、そして、日本人も、みんなが ‟やさしい気持ち” をもって暮らしていくことができるように、「目指すこと」「したいこと」「してみたいこと」「できること」「できないをできるにする工夫」をみんなが持ち寄る集まりだ。ひらがなネットという日本語教室のボランティア仲間が立ち上げた多文化共生に関わる会社のみんなが背中を押してくれた。このときほど、仲間がいること、思いを話す場があること、いつもそばにいようとする姿勢の大切さを実感したことはない。
東京にほんごネットでの活動は、まだ始まったばかりだ。個人の仕事として外国人に日本語を教える傍ら、主に日本人向けにやさしい日本語講座、地域の日本語教室でボランティアを始める方への講座、日本人住民と外国人住民をつなぐ事業を行っている。また、多方面の方からの地域での活動について相談を受けることも大切な事業になっている。
受け入れてもらえるだろうか…と不安になりながらも勇気を出して日本語教室に参加したことからはじまった今の道。これから先、どんな道を進んだら正解なのかは分からないが、仲間と一緒に悩みながら、語り合いながら、丁寧に進んでいきたいと思う。
東京にほんごネット:https://tokyo-nihongo.net/