WEBコラム〈5〉多文化共生社会における「対話」をめざした日本語ボランティア活動

多文化共生社会における「対話」をめざした
日本語ボランティア活動

伊東祐郎
(一社)多文化社会専門職機構 理事
国際教養大学専門職大学院 教授

 1980年代後半以降の日本における急速な国際化の中で、各地域には定住化する外国人が増加し、地域社会は多言語多文化社会へと変わりつつあります。併せて、地域で日本語を学ぼうとする外国人住民の増加にともなって、多くの日本人が市民ボランティアとして日本語学習支援活動に積極的に関わるようになってきました。地域の日本語教室は、市民ボランティアも居住する外国人も「自らの意志」で集ってくる、まさに、多文化の人々が同じ市民という立場で集い合い活動する場となっています。日本社会にとって、このような地域活動は恐らく日本全国を見渡しても他にはないでしょう。日本語ボランティア活動は、日本社会の「多文化共生」の有り様を左右するほどの大きな存在と言えます。日本における多文化共生社会の構築の鍵は地域の日本語教室の現場にあると考えられます。

 地域の日本語教室では、日本語を学びたいという外国人のニーズに対して、様々な背景や動機を持った人々が日本語を教えています。外国人のお世話をしたいから、外国人に日本語を教えたいから、また、外国人から外国語を学びたいから、異文化に触れたいから、国際交流に関心があるからなど簡単に説明しきれません。その形態や指導内容は地域や支援の現場によって様々なのです。これらの日本語ボランティアの活動は、大学や日本語学校のような教育機関とは違い、地域に暮らす日本人と外国人が同じ市民という立場で、しかも日常的かつ継続的に接触、交流する場になっています。留学生やビジネスパースンに対する日本語教育とは異なり、多言語多文化化する社会の中で、外国人、日本人を問わず、言語や文化が異なる者同士がいかにコミュニケーションを図り、住みよい地域社会を創り上げていくことと深く関わるものとなっているのです。

 しかしながら、日本語を教える活動という性格上、「説明型」「知識伝授型」の手法が中心となり、日本人が外国人に教えるという一方通行の活動に陥りやすく、どうしても「先生」と「学習者」といった上下の人間関係になりやすい実態があります。また、日本に暮らす外国人は問題を抱えたときに最も相談しやすい日本人は身近かな日本語ボランティアであるケースが多く、上下関係まではいかないにしても外国人は常に支援を受ける側に置かれやすいという課題を抱えています。国際交流の最前線であるにもかかわらず、このような固定的な環境になってしまうことは大変惜しいことです。

 私は今から20年ほど前に、開発教育の中で述べられている多文化共生社会に求められる「人間関係づくり=参加型学習」に共感し、TaSSKのコアメンバーと共に、日本語教育の新たなアプローチの展開を試みてきました。開発教育は、1960年代にヨーロッパや北米で始められた、「共に生きることのできる公正な社会づくり」をめざした教育活動です。貧困や南北格差に代表される開発問題の理解とその解決をめざす教育活動がその基本にありますが、最近では人の移動にともなう地域の国際化の進展とのかかわりから、特に多文化共生に焦点をあてて、日本の地域社会の教育的課題も扱うようになってきました。その中で、多文化共生に向けての教育の基本的な課題としての「人間理解と人間関係づくり」「人間と文化の関係性への理解」「文化的参加~文化の表現・創造活動への参加」に「日本語獲得」を何とかドッキングさせられないか思案してきました。人間理解そして人間関係づくりは、多様な文化を有する人間が地域で共に生きていこうとする際に最も基本的かつ重要な課題になります。日本語学習とその支援活動を通して、人間と文化の関係、人間にとっての文化のもつ役割への理解、そして、文化的存在としての人間の精神的・情緒的・文化的側面に注目し、それらの表現・創造活動を多文化社会を創造する地域日本語教育に導入できないか取り組んできたのです。  

 地域における学習者の背景は、文化的にも言語的にも多様です。また日本語力も同一ではありません。その結果、同じ学習内容が与えられても、学習者全員が同じような学習過程を経て学ぶわけではないのです。必ずしもボランティアが期待したとおりに学習が起こるわけではありません。学習者が意識するしないに関わらず、自分にとって必要だと認めたものを新たな学びとして獲得しているのです。このような多様な学びの側面を前提にして、すべての学習者が積極的に学習に参加できる環境を創出し、学習者は必要に応じて、自らが学びの機会を活動の中に見出し、自主的にしかも自律的に学ぶことが大切であると考えるようになりました。したがって、参加型学習においては、活動に先行して用意する教育シラバスというものはありません。また、日本語を母語とするボランティアも日本語が不自由な外国人も活動に参加する仲間として水平的な立場に位置づけられ、「教師」も「学習者」も存在しません。要するに、参加型の手法によって個人の持つ様々な意見や考えを引き出すことを中心に据えていて、ボランティアと外国人との「対話」を創り出していくことにねらいがあるのです。「対話」活動に参加することによって、多文化社会で生活する住民個々人の個性や資質、能力を発信することが期待されているのです。自己発信、自己表現を実現し、また同時に隣人の考え方、見方に触れて他者を理解すること、自己を振り返ること、そして参加者同士が学び合うことに感動することが大切になるのです。

 地域日本語教育がめざすところは、日本人も外国人も一地域住民としていかに日本語で表現し、異文化間でのコミュニケーション力を高められるかにあります。地域における様々な日本語支援活動が、居心地のよい社会創りに大きな可能性を秘め、大切な役割を果たすことになります。上述した参加型学習-日本語教育版を学習支援活動の中に組み込むことによって、活動そのものが多文化共生の地域社会づくりの一端を担うことを願っています。

2020年07月07日 | Posted in TaSSK/WEBコラム, お知らせ | | Comments Closed 

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