WEBコラム〈29〉マイノリティになって体験したマイクロアグレッション

高田 友佳子
ソーシャルワーカー(Licensed Master Social Worker)
特定非営利活動法人 国際活動市民中心(CINGA) コーディネーター
Our Foreign Neighbors We Care 代表理事

人が集まって社会という集団をつくり出す時は、さまざまな特徴によりグループ分けされることが多い。そのグループで少数派ゆえにあまり重要ではないと判断された人達がマイノリティと呼ばれ、多数派であるために、社会的に重要視されやすい人達がマジョリティと呼ばれる。私達日本人が日本で暮らしていれば、圧倒的なマジョリティだ。しかし、海外で暮らした途端、私達は、瞬時にマイノリティに変化する。

人種のるつぼであるアメリカには実に多種多様な人達が暮らしている。様々な国にルーツを持つ人達がたくさん暮らしているために、マジョリティとマイノリティが存在する社会だ。昨今アジア系、ヒスパニック系の人口増加率が著しく、近い将来アメリカは今までマイノリティとされていた人達がマジョリティになるとも言われているが、人種や宗教が異なるさまざまな人々が暮らしているからこそ、マイノリティの人々に対して意識的または無意識的な差別が生まれてしまうことがある。このような問題を解決し、健全な社会としてすべての人々をフェアに扱うために存在するのが、弱者を保護するための法律で連邦法だけではなく、州法、ひいては市や郡が独自の規制を上乗せしていることもある。

これらの法律があるので差別はほとんどないかというと、そんなことは決してない。日本人の私がアメリカで暮らしていた時はマイノリティであり、差別をされた経験も何回かある。例として1つ紹介しよう。私がアメリカの大学に通っていた時に、毎朝クラスで挨拶をすると、顔を背けて無視する人がいた。新学期で同じクラスになったばかりで、嫌われることをした覚えもないのになぜ無視されるのだろうと気になっていたが、よく見ていると私だけではなく、有色人種の人達を全て無視していた。そんな彼女が数週間後に初めて私に声をかけてきて、無視して申し訳なかったと謝罪をしてきた。その時に他に無視されていた人達も交えて話を聞いたところ、大学にくるまで周囲には白人しかおらず、テレビでしか見たことがない白人以外の人達にどう接してしいかわからなかったため、無意識ではあるものの差別的な行動をしていたということがわかった。思い返せば、大学で最初に声をかけてくれたのは白人以外のクラスメイト達だった。彼らは英語が母語でない私にあれこれと気を遣ってくれて、授業の内容がわからない時は色々と助けてくれた。その後、白人のクラスメイト達も何かと声をかけてくれるようになり、気づけばクラスに溶け込んでいた。そうなってしまえば、多数派に仲間入りをしたことになり、在学中に差別されたと感じることは全くなかった。

もう1つ違う話をしよう。ある日、カウンセリングをしていた時にアフリカ系アメリカ人の母親に、「あなたはマイノリティだから私達の辛さや苦しみを理解してくれる。でも白人の前任者は、マイノリティとしての経験がないから、いくら訴えても理解してもらえなかった。時には差別されていると感じることもあった。マイノリティのあなたが担当になってくれて良かった。」と言われたことがある。どうしてそんな風に感じるか聞いたところ、いくつかの具体例と前任者の言葉の端々からそう感じたのだと答えてくれた。実際に前任者にいくつかの具体例について確認したところ、全くの無自覚であったため、その母親がどのように感じたのかを説明する必要があった。前任者の同僚も私と同じクリニカルソーシャルワーカーなので、多様性も学んでいるし、差別などしないはずにも関わらず、その母親にそう感じさせてしまったのは、マイクロアグレッションの可能性が高いのではないかと考えたことを思い出す。

マイクロアグレッションとは、日常的な軽蔑、侮辱、侮蔑、無価値化、攻撃的な振る舞いのことと定義されており、わかりやすく言えば、マイノリティに対する間接的や意図的でない差別とみなされる発言・行動のことである。相手の事情をよく知らないまま、思い込みで無意識に発言や行動をしてしまうため、相手を不快にさせる可能性が高い。差別している側にその意識がないため無自覚で行われるケースが多く、される側にとっては相手にどういう意図があるのかわかりづらいため、「差別だ」と声を上げにくいのが現状だ。しかし、受け手は明らかに差別をされていると感じることも多々ある。
例えば、「お箸を上手に使えてすごいですね」には、「日本人ではないくせに、箸を上手に使える」という隠れたメッセージがあることにお気づきだろうか。もちろん言った方は褒めたつもりだと思う。単純に褒められて嬉しいと思う人もいるだろう。でも、なかには上手に箸を使える人は日本人以外にもいるのに、日本人でないと上手に箸を使えないと決めつけて侮辱されていると感じる人がいる可能性もあるのだ。

また、「外国人イコール英語ができる」を頑なに信じている人達がそれなりの数でいるためか、日本で暮らす外国人が「こんにちは」と話しかけているのに “I can’t speak English.”と言われたとか、「『ハロー』と英語で話しかけられても英語なんてわからない。日本語ならわかるのに」という外国人の話を聞いたことはないだろうか。これらも肌や目や髪の色といった見た目で判断をするマイクロアグレッションのひとつである。アメリカで私が暮らしていた時にこのような体験をしたことはない。アメリカにいるのだから英語ができると思っている人達が多く、見た目に関係なく英語で話しかけてくるのが当たり前だった。日本のある駅で、困っている様子の外国人に英語で話しかける日本人を見かけたことがある。しかし、その外国人が英語を理解できなかったので、「なんで英語ができないのよ」と文句を言っていたのであった。親切心で声をかけたのに英語が通じないことに納得できなかったらしい。その人がプンプンしながらどこかに行ってしまったので、「こんにちは。どこに行きたいですか?」と日本語で話しかけてみた。そうしたら、笑顔で「ここ」と持っていた紙を見せてくれたので、やさしい日本語で道案内をした。このように、見た目で判断せず、まずは日本語で話しかけてみることも必要だと思う。少しでも多くの人が在留外国人に日本語で声をかけることを実践したら、前述のような話が聞こえてくることも減るのではないだろうか。

今の日本は地域の差こそあれ、様々な国からきた人達が暮らしているのが普通になってきた。コンビニや居酒屋などの店員さん達を思いだしてみてほしい。彼らは私達と同じように働き、学校に行き、コミュニティの一員として社会に貢献している。そんな人達に対して私達一人一人がマイクロアグレッションという知識を持ち、言動や行動に気をつければ、彼らにとってもう少し暮らしやすい社会になると思う。そして、そういう社会にするために、これからも情報発信をしながら様々な活動を続けていきたい。

2024年01月26日 | Posted in TaSSK/WEBコラム, お知らせ | | Comments Closed 

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