WEBコラム〈9〉地方都市で多文化化・多様化と向き合い続けて
地方都市で多文化化・多様化と向き合い続けて
髙栁香代
多文化共生ネット・九州
私が地域の多文化化・多様化と向き合う活動を仕事として始めたのはちょうど2000年からです。その前に国際交流のボランティアとして5、6年ほど活動していました。仕事を始めた頃、一緒にプロジェクトを動かしていた人生の先輩とも呼べるような方から「髙栁さんが私ぐらいの年になったら外国人との共生はずっと進んでね、きっとこの仕事も無くなるよ」と言われた時、漠然とそういう未来が訪れるのかしらと思っていました。2020年も間もなく終わる今も地域の多文化化・多様化と向き合い続けています。
私はこれまでずっと市民活動の立場から多文化社会の実現に関わってきました。現在は宮崎市に居住していますが、活動の視野は九州全体を見捉えています。そのきっかけとなったのは、今から約15年前のある体験でした。年末の慌ただしさの漂う寒い日に1本の電話がかかってきました。「ある外国人女性が家族の暴力に耐えかねて自宅を飛び出し、知人のところへ来た」というものでした。しかし、話をよく聴くと、その場所にも居続けるのは難しいとのこと。そこで九州内の知人たちと連絡を取り合い、県境を超えて支援がつながり、その女性はある所に落ち着くことができました。その時を振り返ると、私が当事者の抱える問題に関係者の共感を得ながら、人や既存の社会資源をつなげて動いたことは、コーディネーターの動きそのものではなかったかと思います。
当時、活動の拠点である宮崎県だけでは、人材や社会資源はかなり限られていました。それを乗り越えるために、広域的な視点から実践を捉え直し、九州で普段から信頼を寄せる実践者とのつながりを生かせたことは、その後の私の実践の空間と視点を変える経験となりました。
私が参画している「移住労働者と共に生きるネットワーク・九州」(以下、ネットワーク・九州)では、個人のネットワークというよりも、団体間のネットワークで多文化社会の問題解決のための活動を続けています。ネットワーク・九州の活動の中で2つの大きな活動があります。1つは大村入国管理センターとの意見交換会です。2020年に17回目を迎えました。もう1つは福岡入国管理局との意見交換会です。2019年に22回を数えました。これだけ長い期間、市民団体が出入国管理行政を司る機関と直接意見を交わし続けるのはかなり珍しいことだと思います。このネットワーク・九州での意見交換会のプロセスのあり様は、多文化社会の問題解決に向けた多文化社会コーディネーターの機能・役割として示された「『参加』→『協働』→『創造』のプロセスの循環を推進する」に共通するものと言えます。毎年の意見交換会に向け、ネットワーク・九州の団体・事務局が集い(参加)、質問と要請書を参加者の日頃の実践と照らし合わせてながら整理、まとめ上げ、会を通して入管政策について意見を交換し、要請書を提出します。(協働)その後、回答と要望書をホームページに掲載し公開しています。要請書をきっかけとして問題状況の改善や、課題の解決につながったこともあり、このような活動を通して多文化社会における問題解決に向けた国の機関と市民団体の関係を創ることが可能となっていると言えるでしょう。(創造)
ただ、ネットワーク・九州も例外ではないのですが、多文化社会での問題解決に向けた協働の中で行政・企業・学校・市民団体などの組織は同じ方向を向きながらも、それぞれの考えの違い、アプローチの違い、表現の違いなど様々な違いがでてきます。以前、ある実践者と「外国人との共生の前に多文化共生に関わる団体間の共生が難しい!」としみじみ語ったことがあり、コーディネーターとしてこれをどう捉えるのか、今でも探り探りやっている状態です。行政には行政の文化が、企業には企業の文化が、学校には学校の文化が、市民団体には市民団体の文化があり、その文化性を踏まえた多面的なコーディネーションのあり方を、私は多文化社会コーディネーターになる道のりで学ぶことができました。それ以来、問題解決に向けた関係を創る中で個々の文化性を捉えるためにそれぞれの声を丁寧に聴き、対話を通した信頼関係が築ける様な参加の場づくりを意識し続けています。
しかしそれは簡単なことではありません。これまで何度も「もう、やめたい」と思ったことがあります。2020年度に多文化社会専門職機構(TaSSK)がオンラインで開催している「多文化社会コーディネーター協働実践研修」の中である受講生がこうつぶやきました。「(オンラインが終わったら)また私は孤独に戻るのか」と。それは私が実践を続ける中で何度も感じた孤独感に通じるものでした。壁にぶち当たった時、言いようのない無力感に襲われた時など「ちょっと聞いてほしい」と言え、それをTaSSKの会員や九州内の実践者が受け止めてくれる、それが孤独感を解消する1つの救いとなっています。そして、2012年にある研究会の場で、TaSSK設立への道を拓いてくださった杉澤経子さんから「(実践の中で)孤独に耐えなさい」との言葉をいただいたことがあります。その時にはすぐにその意味を捉えることができなかったのですが、考えて辿り着いた答えは、多文化社会に向かう「覚悟」でした。
その覚悟を持ちつつ歩む私の実践は、九州の多文化社会の実現の中では、ほんとうにほんとうに小さく、時には弱いものです。だからこそ、いつも他者とつながり力を借りることで少しでも前に進み、その実現に向けて細く長く続けられればと思っています。